[支配人]
創刊号では、ゴルフとの出会いやゴルファーへと進むきっかけなどをお聞きしました。そこで、第2号では、プロデビュー当時や樋口久子プロとのエピソードなどを通じて「勝負師・大迫たつ子」の一面に迫っていきたいと思います。
技術は自分で盗み取れ!
[支配人]
大迫さんが女子プロ8期生として合格された頃は、まさに「女子プロ黎明期」と言える時代ですよね。しかもまだ十代。先生と呼べる人の存在が必要だったかと思いますが、どなたの教えを乞うことになったのですか。
[大迫プロ]
日本女子ゴルフ協会(LPGA)がまだなくて、日ノンプロゴルフ協会女子部の頃です。まだまだ女子プロの歴史は浅く、男子プロの付け足しのような時代。女子プロを指導するのも自ずと男性プロでしたね。私の場合はキャディとして入社した宝塚ゴルフ倶楽部所属の古賀春之輔プロに師事しました。『何かあったら自分のせいにすればいい』『自分の名前を出せばいい』といってくれる先生でした。それでも、手取り足取り教えてくれるわけではありません。ひたすら、「自分で盗み取れ」の世界でした。
それと兄弟子にあたる島田幸作プロのスウィングはよく見ていましたね。独特でしたけど、脚の使い方はとても勉強になりました。
『打倒・樋口』を実現した初勝
[支配人]
次に「打倒・樋口」を果たして、プロ初勝利を飾られた時のことをお聞きしていいですか。
[大迫プロ]
1975年の日本女子プロ東西対抗(オータニにしきCC 6270ヤード・パー73)でしたね。
この試合は今でも印象に残っている忘れることができない試合です。
[支配人]
最終日、前日首位だった樋口久子プロと同じ組でプレーして逆転のプロ初勝利でした。
[大迫プロ]
当時、「賞金女王」という呼び名は、ずっと樋口久子プロ一人のものでしたから。だから、「打倒・樋口」は当然のように、女子プロ選手すべての合言葉でした。
[支配人]
9年連続を含めて通算11度も賞金女王の座に輝いたように、すべての戦績をあげれば、その立ちはだかる壁が当時においてもどれだけ圧倒的なものだったかが、わかる気がします。
ちなみに国内69勝、1976年日本人選手として初めて米女子ツアー制覇、翌1977年、全米女子プロ選手権で日本人唯一の米メジャー制覇と、樋口プロの戦績をおさらいすれば、それはそれはすごいものです。
[大迫プロ]
樋口プロは、2003年には日本人初の世界ゴルフ殿堂入りしています。あちらは「世界」ですもの。
[支配人]
それでも「打倒・樋口」を果たさない限りは、優勝はおぼつかないわけですよね。プロである限り、求めるものは優勝しかない…。それが、ようやくこの試合で達成できました。大迫プロが優勝、樋口プロが4位という結果でした。
[大迫プロ]
この試合は初勝利したこと以外、その他の結果や試合内容は覚えていません。それよりも、試合中、樋口プロに失礼な物言いをしたようで、それもあって特別に忘れられないものになっています。先輩プロであり、しかもあこがれの樋口プロですから、敬意を払って当然です。
最終日、同じ組で回っている樋口プロのプレーがとても遅かった。でも内心は「ゆっくりだなぁ」と思っても、それをけっして表に出さないように気を付けました。そして「大丈夫。あくまで待ちますよ」というつもりで「(ゆっくりでも)合わせますよ」と言ったんです。すると樋口プロは急に不機嫌になって…。それまでに樋口プロは「大迫が遅いから」と周囲に漏らしてたようなんです。
[支配人]
トッププロならではの心理戦を仕掛けられたのかもしれませんね。
[大迫プロ]
ゴルフはガチンコで勝負しましたが、上下関係は忘れずに、どんな先輩プロでも立てるように心掛けていました。
[支配人]
さらに、翌10月の松島国際女子オープン(松島国際 6310ヤード・パー73)で2勝目をあげ、同じ10月の下旬にあった東海クラシック(三好CC 6400ヤード ・パー74)で3勝目を狙っていたら、見事に樋口プロにさらわれ、2位に甘んじることになりました。
不思議にそれからしばらく勝利から遠ざかっていたように思えるのですが…。
[大迫プロ]
ばれてましたか。その年は結局2勝止まり。次の年になると1度も勝ってない。3勝目を得たのがさらに翌年、初勝利から2年経っていました。
奈落の底から這い上がるようにして、掴み取った3勝目
[支配人]
1977年8月のオールスター(神有CC 6415ヤード・パー74)で久々に飾った勝利が3勝目ですね。それも岡本綾子プロとプレーオフにもつれ込んでのギリギリの戦いだった。
[大迫プロ]
プレーオフを戦い、ホールアウトしてスコアを書こうとしたら震えて書けない。どうやっても書けないんですよ。2勝目から2年ほどのブランクがあって、もう勝てないとその頃は自分で思い込んでいたので。だから、優勝という結果を前にしたら、震えて、震えて…。オールスターでの一戦は、いつまでも忘れられない思い出です。
[支配人]
プロが、「勝てない」と思い込んでしまうとは、よほど追い詰められた状態ですよね。
[大迫プロ]
初勝利からすぐ2勝目もあげたので、練習しなくても勝てるわと思っちゃったんです。おごりがあったんでしょうね。練習しなくても簡単に勝てるわと思い込んでしまった。練習をサボっても平気でいたら、そのツケがきたんです。そして勝てないことがだんだん焦りとなり、迷いが出て、このまま2度と勝てないかも…と思うようになってしまった。
[支配人]
でも1977年は、そのオールスターの勝利をきっかけにして4勝をあげている。オールスターの翌9月にあったトヨトミレディース(貞宝CC 6250ヤード・パー74)もプレーオフの末、勝利。さらに10月は美津野ゴルフトーナメント(朱鷺の台CC6150ヤード・パー72)で優勝し、11月の西海国立公園女子オープン(貞宝CC 6201ヤード・パー72)では、樋口プロを2位に抑えて優勝と、毎月のように勝ちを積み上げました。
その結果、初の賞金女王に輝いています。それも、樋口プロの賞金女王10連覇を阻止するという女子プロゴルフの世界において大いに意義のあるものでした。“「打倒・樋口」の筆頭格として奮戦し、女子プロゴルフ界を盛り上げた多大な功績”という殿堂入りの選考理由がうなづけます。
「第四回日本プロゴルフ殿堂入り式典」の壇上で、
プレゼンターを務める樋口久子プロから賞状等を授与される
大迫たつ子プロ[2016年2月19日東京ビッグサイトにて]
[大迫プロ]
3勝目をあげても、まだ勝てるとは思っていなかった。だから、がむしゃらに練習しました。練習しても練習しても、十二分にやれたとは到底思えなかった。
ただ、がむしゃらにやるだけではダメだとは気づいて、何を優先して練習するのかは、はっきりと決めていました。弱点克服のただ一点に集中し、そのためのクラブ1本だけで練習に明け暮れました。
みんなは練習でも、できないことをほっといて、できることしかやらない。練習しても上手くならないのはそこだと思うんです。
[支配人]
こういう話は、昨年開催したクオリファイングトーナメントやプロテストに出場した選手たちに聞かせたいですね。
試合と試合の間のわずかな時間も惜しんで、貪欲に練習に打ち込むスタイルを確立したのがその頃ですか。
[大迫プロ]
気がついたら、コンスタントに勝てるようになっていたので、あとから思えば、あのオールスターがターニングポイントだったんです。
[支配人]
それでも、さすがに樋口プロ。奪われたものはすぐ奪い返す。
賞金女王の座は1年で樋口プロに渡ってしまいましたね。また、樋口プロの連覇が続くのかと思ったら、2年だけでまた、大迫プロが奪い返した。メジャー制覇で世界が認めるその実力と、「勝負師」との一騎打ちの様相でしたね。
キャディーを味方に<大迫たつ子の勝つための流儀①>
[支配人]
この辺りでお聞きしたいのは大迫プロならではの「勝つための流儀」と言えるものは何か、ということです。
[大迫プロ]
まずはキャディですね。予選も含めて丸々一週間一緒ですから。当時は帯同キャディなんていませんから、みんなクラブ専属のハウスキャディでしたよ。
いかにキャディを味方につけるか。それが勝つために一番必要な条件と考えていました。だからキャディの読みが違っても責めることはしません。キャディのせいにせず、あくまでも自分のミスとしてかわしてあげるんです。
[支配人]
キャディのミスを指摘して萎縮させてしまえば、以後のプレーに差し障りばかりあって、少しも得策ではないということですよね。
[大迫プロ]
キャディ自身が気づいていることですから。責められないとなると次からはもっともっと、一生懸命にやってくれるものです。
[支配人]
キャディの仕事を経験として持つ大迫たつ子プロの言葉ですから、説得力があります。なるほど、キャディは選手によって育てられたりもするんですね。
[大迫プロ]
キャディだけでなく、会場となっているクラブも味方につけることも大切なんです。トーナメントの会場が同じなら、気のあったキャディを毎回クラブの方でつけてくれるようになりますね。グリーンやコースとの相性といったものももちろんありますが、直接関係がないようでも、ホテルなど宿泊先の居心地も結構プレーを左右するように思います。
[支配人]
より良いプレーを生むための、環境面での条件といったところでしょうか。
その他に勝つために必要なものは何ですか。
正確無比な技術を支える精神力<大迫たつ子の勝つための流儀②>
[大迫プロ]
何事もメンタルに尽きると思います。「いつも変わらないスイングができる」のも、技術をメンタルが支えている証しです。
おかしなスイングをしていると、ラウンドのどこかでダメになるものです。いずれは曲がるぞ、叩くぞ、勝手に崩れるぞと思って見てるんです。
[支配人]
このあたりが「勝負師」と言われる所以ですね。
[大迫プロ]
これまで、そういったプレーヤーを幾度も見てきました。
習志野での奥村久子プロもそうでした。力が入ってしまっても曲がらないスイングを心がけないと、プロの世界では舐められるんです。
[支配人]
1987年の東鳩レディス(習志野CC 6150ヤード・パー72)ですね。前日まで首位の奥村久子プロはプロ未勝利の4年目。
18番ホールのパットで、緊張のため手が動かなくなり4パットのダブルボギーを叩いて自滅したようです。前日の3打差から終盤1打差まで迫り、とうとう最終18番で逆転優勝したのが大迫たつ子プロ。
新聞報道でも”大迫が「私だって勝つまでは、何度悔しい思いをしたか。経験をつんで大きくなるのよ」となぐさめていた。“とあります。
[大迫プロ]
宝塚ゴルフ倶楽部に練習に来ていた彼女をよく知っていたのもあって、勝負はこういうものよと、その時その場で教えてあげたかったんです。
[支配人]
1977 年の3 勝目までに苦しんだ経験を伝えたいと思われたんですね。
そして、大迫プロはその年に4 勝をあげて通算40 勝を達成、3 度目の賞金女王となる超一流のプロと、プロ未勝利、4年目でまだまだ駆け出しのプロとの違いは歴然で、その差が結果として出たようですね。奥村プロの追いかけられるプレッシャーは半端なものではなかったでしょう。もはやマッチプレーの感覚で、気がつけば大迫プロの術中にはまってしまった、というところですね、きっと。
[大迫プロ]
試合の途中、自分で自分にプレッシャーを掛けていることに気付くことがあります。そんなときには「あかん!あかん!」と思って、ギャラリーなど周囲を見渡して気持ちを切り替えていくんです。
ギャラリーは多い方が楽しいし、気分を盛り上げることができます。
だって、大勢のギャラリーに囲まれているときに木と木の間を抜けていくスーパーショットをしたら、「みんな見た!」と思うでしょう。それが最高に気持ちがいいんです。
対談を終えて
大迫さんが、LPGAに働きかけていただいたおかげで、今年初めて、プロテスト2次予選、サードクォリファイングトーナメントの実施が最終的に決定しました。その存在は有馬カンツリー倶楽部においては貴重で何にも代え難いものと、あらためて気付かされました。
なお、競技開催に際しましては、会員皆様のご理解と多大なるご協力を賜りましたことを心から感謝申し上げます。これからもプロ競技を開催できる質の高いコースを作ってまいりますのでよろしくお願いいたします。
支配人 高田 勉