プレスリリース

今、発売中の【Choice 2017年秋号】で天才コース設計家 保田与天 特集掲載!

2017年 10月 7日

 

保田与天は、有馬カンツリー倶楽部をつくったコース設計家で、

「自然を可能な限り生かした与天の設計コースには、人としての優しさが漂う」と言われています。

 

保田与天は、生まれは明治22年、和歌山県の出身で、

大正6年に東京高等工業学校(現在の東京工業大学)の建築科を卒業しています。

 

大倉土木(現在の大成建設)に入社した与天は、満州の撫順に着任していた大正12年に

ゴルフコースを造ったことがゴルフとの関わりとなり、それが生涯に渡る転機となりました。

 

昭和4年の帰国後、宝塚ゴルフ倶楽部の会員となり、同クラブのクラブチャンピオンになるなど、

プレーヤーとしての腕を磨き、選手引退後の昭和21年よりコース設計家の道を歩むことになります。

 

 

保田与天が設計したコースは、以下の7コースです。

・芦屋カンツリー倶楽部(昭和27年)

・福岡カンツリー倶楽部和白コース(昭和27年)

・くまもと阿蘇カントリークラブ湯の谷コース(昭和27年)

・霧島ゴルフクラブ(昭和32年)

・有馬カンツリー倶楽部(昭和35年)

・三重カンツリー倶楽部(昭和35年)

・浜松カントリークラブ(昭和40年)

 

保田❝与天❞とは珍しい名前ですが、実はこれは俳号です。

『与』という字には「あたえる」「あずかる」という意味がありますが、

もう一つ、「一緒に力を合わす」「仲間になる」という意味もあります。

おそらく❝与天❞とは、天との一体化、つまり世界のあらゆる自然との融合といった

ニュアンスをもってつけられた名前であったと考えられています。

 

そして、この❝与天❞という名前に込められた思想が、

その後のゴルフ場の設計家としての保田与天の設計哲学と、

造られたゴルフコースの趣にそのまま具体化されています。

 

 

当倶楽部は昭和34年、コース設計を「自然の地形を最大限に活かす」ことに定評のあった

保田与天に依頼し、関西随一のゴルフコースを目指すこととなりました。

 

与天は後年、「1つのコースの中にも、高低さまざまのアンジュレーション、さまざまなハザードの配置、

更に、寒暖晴雨さまざまな天然現象まで加わって、このスポーツをいやが上にも面白い、

興趣のつきないものにしております。スポーツの場としては、おそらく、

自然と人工をおりまぜた最高のものでないでしょうか」と、ゴルフは、

まさに自然との融合を楽しむゲームであるという、❝与天❞の哲学を述べています。

 

当倶楽部にも、ゴルファーにとって「コースを征服する」という意欲を高めるための工夫が、

随所に凝らされており、オープンから半世紀を超えた現在でも、

四季折々の借景とともに色あせることなく、維持管理され、ゴルファーを魅了し続けています。

 

↑保田与天が描いた有馬カンツリー倶楽部のコース図。建築家だけに絵心がある。

 

保田与天は60歳を過ぎてからゴルフコースの設計に携わり、

設計したコースが7コースに留まっていることもあり、設計者としての知名度はそれ程高くありません。

しかし、日本で最も有名で数多くのコース設計を手掛けた井上誠一氏が、

与天の書いた俯瞰レイアウト設計図を見て、「日本で唯一感心した設計家である」と言ったという

逸話が残っており、ゴルフコースの設計家や史家の間では、高い評価がなされています。

 

ぜひ皆様、保田与天という天才コース設計家の名前を覚えていただき、

自然の地形を最大限に利用した与天の設計したコースでのラウンドをお楽しみください!

 

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