★スコットランドのジェームズ国王が発した「ゴルフ禁止令」
現存するゴルフに関する最古の文献は、1457年、スコットランド国王ジェームズ2世(スチュワート朝)が発令した「ゴルフ禁止令」と言われています。
当時のスコットランドは独立した国でした。スコットランドと南に位置するイングランドとは、隣同士の国ということもあって犬猿の仲。一触即発の状態が続いていました。
★1457年、ジェームズ2世の「ゴルフ禁止令」
※ジェームズ2世(1430~1462年)
すでにゴルフはスコットランド中に広がり、とくに多くの兵士たちがゲームの虜となってしまったため、戦力低下を恐れた王様はゴルフの禁止令を出すことにより、軍事訓練を積極的に行うこととしました。
禁止令の内容です。
『王侯貴族人民協会による武術大会を年4回開催するものと定め、ここに布告する。さらにフットボール、およびゴルフは厳禁とし、その行為の一切を禁ずる。またフットボール、およびゴルフをした者は、その領地の法に従って厳罰に処せられる。さらに50歳以下、12歳以上のすべての男子は、弓術に励むものとする。』
ジェームズ2世は、1437年にわずか7歳で即位。勇敢にして明晰、学問を好み、1451年にはグラスゴー大学を設立、また史上初めて小銃と大砲をフランダースから輸入して大規模な騎兵隊も創設しました。この「ゴルフ禁止令」から5年後の1462年、イングランドと戦争が勃発、ジェームズ2世は兵を率いて国境近くのイングランド領となっていたロクスバラ城を奪還するため攻撃している最中、大砲の操作を誤って爆薬が破裂、あえない最後を遂げました。
★1471年、ジェームズ3世の「ゴルフ厳禁令」
※ジェームズ3世(1451~1488年)
1462年、ジェームズ2世の子が9歳で即位し、ジェームズ3世となりました。即位から2年後、前王についで2度目のゴルフ禁止令が発布されます。つまり、この14年の間に国民は禁を破ってゴルフに興じていたと考えられています。
『なお一層、フットボールとゴルフを厳禁する。武術大会を開催し、弓術を大いに奨励する』
ジェームズ3世は、歴史上でも「謎の王」とされ、音楽や文学を好む一方、暗殺や拷問など、かなり残忍なことも重ねていたと言われています。1488年、ジェームズ3世に不満を持つ一部の貴族が、王太子である後のジェームズ4世を取り込んで反乱を起こし、王軍を破ってジェームズ3世を殺害しました。
★1491年ジェームズ4世の「役立たずのスポーツ厳禁」
※ジェームズ4世(1472~1513年)
そして1488年、16歳で即位したジェームズ4世は、1491年に3度目のゴルフ禁止令を出しました。このときはじめて違反者に40シリングの罰金を課しています。
『わが領土内のすべての場所において、フットボール、ゴルフ、その他役立たずのスポーツ一切を禁止する』
ところが、その3年後、ジェームズ4世自ら、ゴルフ禁止令を破ったという記録が残されています。
★王様自ら禁を破ってゴルフにのめり込んだ!?
それは、1502年9月21日付のスコットランド宮廷会計簿には、「ジェームズ4世がパースの弓師シント・ジョンストンに2本のクラブを作らせ、その代金8シリングを支払った」という記録があったのです。またその翌年、ボズウェル伯爵との賭けゴルフに負けて、賭け金42シリングを支払い、さらにクラブとボールの追加代金9シリングをジョンストンに支払ったとも書き記されています。その後も練習に励んだらしく、数年間に渡ってかなりのボール代とクラブ代が支払われました。1506年には、セント・アンドルーズでゴルフをしています。いつのまにか国王自身が、熱烈なゴルファーとなっていました。
この背景には、1502年にイングランドのヘンリー7世とグラスゴー和平条約を締結し、翌年ヘンリー7世の娘マーガレット王女とジェームズ4世は結婚式を挙げています。この結果、軍事訓練の重要性が薄らぎ、ゴルフのような娯楽が許されるようになったのではないでしょうか。
ジェームズ4世はすこぶる美男で、気品にあふれ、勇気に富み、しかも6カ国語に堪能であったと言われています。4世在位25年の治世は、国民に絶大なる人気を誇り、貿易も活発になり、国民生活も向上しました。しかし1513年、またもイングランドと戦争になり、ジェームズ4世はプランクトンの丘の戦いに臨んで、自ら槍を持って敵兵をなぎ倒していきましたが、背後から槍で刺され戦死しました。
これ以後、国王からゴルフ禁止令が出されることはありませんでした。
★1424年ジェームズ1世発布の禁止令はフットボールのみ
※スチュワート王家の居城として有名なエディンバラ城
ジェームズ2世の父であるジェームズ1世は、即位した1424年に「フットボール禁止令」を発布しています。この時の禁止令では「ゴルフ」については言及されていません。
史家によって様々な説はありますが、とにかくこの1424年から1457年の「ゴルフ禁止令」までの間にゴルフがスコットランドで急速に広まって楽しまれるようになったと考えられています。
ちなみに、この時代の日本はというと室町時代。応仁の乱が始まったのが1466年です。織田信長も豊臣秀吉も生まれていない頃に、すでにゴルフは楽しまれていたのですね。
国王自らが法を犯してまでのめり込んでしまうゴルフ。現代でも、アメリカ大統領と日本の首相が一緒にプレーする「ゴルフ外交」が流行語のひとつになるぐらい、政治とゴルフはつながっているようです。ゴルフのイメージが良くなるように上手く使ってほしいと思います。法は犯さないでくださいね。
◆参考文献 「ゴルフ大全」マイケル・ホップス編・夏坂健訳:ゴルフダイジェスト社 「ゴルフの歴史」石川洽行著:㈱MCR
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★スコットランドのジェームズ国王が発した「ゴルフ禁止令」
現存するゴルフに関する最古の文献は、1457年、スコットランド国王ジェームズ2世(スチュワート朝)が発令した「ゴルフ禁止令」と言われています。
当時のスコットランドは独立した国でした。スコットランドと南に位置するイングランドとは、隣同士の国ということもあって犬猿の仲。一触即発の状態が続いていました。
★1457年、ジェームズ2世の「ゴルフ禁止令」
すでにゴルフはスコットランド中に広がり、とくに多くの兵士たちがゲームの虜となってしまったため、戦力低下を恐れた王様はゴルフの禁止令を出すことにより、軍事訓練を積極的に行うこととしました。
禁止令の内容です。
『王侯貴族人民協会による武術大会を年4回開催するものと定め、ここに布告する。さらにフットボール、およびゴルフは厳禁とし、その行為の一切を禁ずる。またフットボール、およびゴルフをした者は、その領地の法に従って厳罰に処せられる。さらに50歳以下、12歳以上のすべての男子は、弓術に励むものとする。』
ジェームズ2世は、1437年にわずか7歳で即位。勇敢にして明晰、学問を好み、1451年にはグラスゴー大学を設立、また史上初めて小銃と大砲をフランダースから輸入して大規模な騎兵隊も創設しました。この「ゴルフ禁止令」から5年後の1462年、イングランドと戦争が勃発、ジェームズ2世は兵を率いて国境近くのイングランド領となっていたロクスバラ城を奪還するため攻撃している最中、大砲の操作を誤って爆薬が破裂、あえない最後を遂げました。
★1471年、ジェームズ3世の「ゴルフ厳禁令」
1462年、ジェームズ2世の子が9歳で即位し、ジェームズ3世となりました。即位から2年後、前王についで2度目のゴルフ禁止令が発布されます。つまり、この14年の間に国民は禁を破ってゴルフに興じていたと考えられています。
『なお一層、フットボールとゴルフを厳禁する。武術大会を開催し、弓術を大いに奨励する』
ジェームズ3世は、歴史上でも「謎の王」とされ、音楽や文学を好む一方、暗殺や拷問など、かなり残忍なことも重ねていたと言われています。1488年、ジェームズ3世に不満を持つ一部の貴族が、王太子である後のジェームズ4世を取り込んで反乱を起こし、王軍を破ってジェームズ3世を殺害しました。
★1491年ジェームズ4世の「役立たずのスポーツ厳禁」
そして1488年、16歳で即位したジェームズ4世は、1491年に3度目のゴルフ禁止令を出しました。このときはじめて違反者に40シリングの罰金を課しています。
『わが領土内のすべての場所において、フットボール、ゴルフ、その他役立たずのスポーツ一切を禁止する』
ところが、その3年後、ジェームズ4世自ら、ゴルフ禁止令を破ったという記録が残されています。
★王様自ら禁を破ってゴルフにのめり込んだ!?
それは、1502年9月21日付のスコットランド宮廷会計簿には、「ジェームズ4世がパースの弓師シント・ジョンストンに2本のクラブを作らせ、その代金8シリングを支払った」という記録があったのです。またその翌年、ボズウェル伯爵との賭けゴルフに負けて、賭け金42シリングを支払い、さらにクラブとボールの追加代金9シリングをジョンストンに支払ったとも書き記されています。その後も練習に励んだらしく、数年間に渡ってかなりのボール代とクラブ代が支払われました。1506年には、セント・アンドルーズでゴルフをしています。いつのまにか国王自身が、熱烈なゴルファーとなっていました。
この背景には、1502年にイングランドのヘンリー7世とグラスゴー和平条約を締結し、翌年ヘンリー7世の娘マーガレット王女とジェームズ4世は結婚式を挙げています。この結果、軍事訓練の重要性が薄らぎ、ゴルフのような娯楽が許されるようになったのではないでしょうか。
ジェームズ4世はすこぶる美男で、気品にあふれ、勇気に富み、しかも6カ国語に堪能であったと言われています。4世在位25年の治世は、国民に絶大なる人気を誇り、貿易も活発になり、国民生活も向上しました。しかし1513年、またもイングランドと戦争になり、ジェームズ4世はプランクトンの丘の戦いに臨んで、自ら槍を持って敵兵をなぎ倒していきましたが、背後から槍で刺され戦死しました。
これ以後、国王からゴルフ禁止令が出されることはありませんでした。
★1424年ジェームズ1世発布の禁止令はフットボールのみ
ジェームズ2世の父であるジェームズ1世は、即位した1424年に「フットボール禁止令」を発布しています。この時の禁止令では「ゴルフ」については言及されていません。
史家によって様々な説はありますが、とにかくこの1424年から1457年の「ゴルフ禁止令」までの間にゴルフがスコットランドで急速に広まって楽しまれるようになったと考えられています。
ちなみに、この時代の日本はというと室町時代。応仁の乱が始まったのが1466年です。織田信長も豊臣秀吉も生まれていない頃に、すでにゴルフは楽しまれていたのですね。
国王自らが法を犯してまでのめり込んでしまうゴルフ。現代でも、アメリカ大統領と日本の首相が一緒にプレーする「ゴルフ外交」が流行語のひとつになるぐらい、政治とゴルフはつながっているようです。ゴルフのイメージが良くなるように上手く使ってほしいと思います。法は犯さないでくださいね。
◆参考文献
「ゴルフ大全」マイケル・ホップス編・夏坂健訳:ゴルフダイジェスト社
「ゴルフの歴史」石川洽行著:㈱MCR
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