出口の見えない、長い戦いの始まり。
目を覆いたくなるような惨状となったコースの悪評が世間に広がり、いよいよその声に耐えることが出来なくなった。 平成12年(2000年)11月、急遽「ウィンターオーバーシード」を実施することとなり、フェアウェイ、ティーインググラウンドのほぼ全面に広がってしまった裸地の上から冬芝(ペレニアルライグラス)の種を蒔いて発芽させ、冬芝で裸地を覆い隠す処置を施した。 しかし、ここでひとつの大きな問題が浮上する。 冬芝は寒冷地で生育する芝生のため、盛夏には必ず枯れてしまう。したがって、翌年の夏に冬芝が消滅した後に再び裸地が全面に広がるかもしれないということだった。 奇しくも、平成13年(2001年)9月に開催されるKGU主催「関西ミッドシニアゴルフ選手権決勝競技大会」の会場となっていた。最悪のコンディションの中で競技を行うかもしれないということが大きな不安となっていた。
史上最大の危機。叱咤激励で再起を誓う。
案の定、様々な処置を施したが間に合わず、9月にはフェアウェイの全面に裸地が広がってしまった。 とても普通に競技を開催できるコンディションではなく、それまで40年に渡って築き上げてきた有馬カンツリー倶楽部の評判を地の底まで落とす結果となった。 この競技の後、最大の危機を乗り越えるため何度も役員会や理事会が開かれ話し合われた。 そんな危機的状況の最中の平成13年(2001年)10月、開場40周年の記念競技大会が催された。 多くの会員が集まり盛大に行われたが、「頑張って立ち直るんだぞ!」という叱咤激励の会となった。コース再生への原動力となったのは、紛れもなく会員皆様の温かい声だった。
経営存続を賭けた、ひとつの決断。
目の前の危機から脱出する方法について何度も話し合われた。 当然、完全無農薬栽培をあきらめることはすでに決定事項となっていた。 ゴルフ場再生へは、手の施しようがないほどに傷んでしまったフェアウェイ、ティーインググラウンドのコウライ芝約10万㎡をどのような形で復活させるかということだけが焦点となった。 提案は2点。コウライ芝を全面張り替えるか、それともコウライ芝と決別して繁殖スピードの速いティフトン芝に転換するかというこの2点に絞られた。ティフトン芝に変更すると、1年中緑の芝生からプレーができるとして評判が良かった「ウィンターオーバーシード」を毎年実行することができる。コウライ芝では「ウィンターオーバーシード」には適さない。 もしもコウライ芝を10万㎡分購入して全面張り替えるのであれば、工事期間を入れて1年は休業せざるを得ない。その場合、工事費用だけでも1億円は下らないという試算がでた。 一方、ティフトン芝への草種転換工事は、繁殖スピードが速いために全面積分の芝生を購入する必要がなく、3000㎡分の芝生を購入し、裁断してほぐしてバラまくという作業工程。養生期間を含めて約3ヵ月間、費用は約1500万円という試算だった。 繰り返し話し合われた結果、ティフトン芝への草種転換工事が決定した。工事期間は平成14年(2002年)6月21日から8月31日までの2ヵ月半、9月1日にリニューアルオープンすることとなった。 万が一、この工事に失敗した場合はゴルフ場を解散することもやむを得ないというところまで話し合われた。
工事計画はフェアウェイとティーインググラウンドの残った芝生を除草剤ですべて枯らしたのち、重機で表層3㎝をはぎ取り、購入したティフトン芝を細かく裁断して人海戦術でバラまいていくという前代未聞の内容。従業員総出で工事に従事することとなった。 天候に恵まれて計画は順調に進行。作業工程は予定通りに完了することができたが、ここで大きな問題が発生。 最後に残った問題がひとつ、それは養生期間に生えてくる雑草。想像以上に生えてきた雑草の除去には、予定人員ではとても間に合わなくなり、さらに多方面からの協力を得て総勢80名で朝から晩まで20日間草引き作業を行うこととなった。ようやく全ホールの草引きが終了したのはオープン前日の8月31日。何とか予定通り間に合うことに成功した。
リニューアルオープン当日は、首を長くしてお待ちいただいていた会員はじめプレーヤーの皆様を、スタッフ総出でお迎えした光景は今でも目に焼き付いている。
"オーバーシード":冬場に枯れてしまう暖地型芝草(コウライ芝やティフトン芝)の上から冬場に緑を保つ寒地型芝草の種子を蒔き、一年中芝生を常緑にする工法です。そのベースとなる暖地型芝草には、日本芝(コウライ芝等)よりも繁殖力の高いティフトン系の芝生がよく用いられています。オーバーシードに用いられる寒地型芝草にはベントグラス類、ブルーグラス類、フェスク類、ライグラス類など多種多様な品種があります。有馬カンツリー倶楽部では、きめ細やかで夏の切り替えが比較的容易な「ペレニアルライグラス」をオーバーシード品種として採用しています。
あの芝生を取り戻せ。試行錯誤の修繕工事。
7年間に及んだ無農薬管理の影響は大きく、再オープン以降も痛んでしまったコースの修繕に努めてきた。増えすぎたラフの大きな雑草の処理、柔らかくなりすぎた土壌の改良、排水改善など。 ようやく将来に向けてプレーヤーのためのコース改修工事を始めることができるようになったのは、これらのコース修繕が一段落した平成19年(2007年)から。まずは12番ホールのフェアウェイバンカー新設に始まり、18番ホールのバックティー新設、18番ホールのファウェイバンカーの移動、14番ホールのサブグリーンを撤去して池の新設などの工事を行った。
名誉挽回の機会到来。試されるゴルフコース。
平成13年の競技開催以来、あまりの悪評が広まってしまったために、長くゴルフ協会や連盟主催の競技から遠ざかっていたが、ようやく名誉挽回の機会が訪れた。平成19年(2007年)10月、関西ゴルフ連盟(KGU)主催の「関西女子ミッドアマチュアゴルフ選手権決勝競技大会」の会場となることが決まった。 二度と失敗は繰り返さないという強い思いで万全の態勢で臨んだ結果、コースレイアウトやメンテナンス、もちろん芝生の状態においても好評を得て大成功を収めることができた。これ以降、度々KGUや兵庫県ゴルフ連盟主催の競技会場に選ばれることとなり、さらにプレーヤーのコース評価は上がっていった。